ここ日本海側に位置する庄内地方には
めっきりと、晩秋の匂いがただよってきた。
 鶴岡市はこの2005年10月に市町村の合併を
終えて14万人口を持つにいたり、県内で
二番目に人口の多い市となった。


 合併前は鶴岡市と酒田市の各10万都市を中心に12町村あったが、合併により残っている町村は遊佐町三川町庄内町である。

 今日11月15日は西高東低、冬型の気圧配置を象徴するような、初めての寒さであった。ここに2005年度のこの事実を記して置く。
(2005年11月15日)

 アドレナリンいっぱいの朝はユーミンが似合っている。……ベルベット、イースタ。
 雨混じりの11月の朝は湯気立つ温泉街の風景が似合っている。
 心が満ち足りた朝は荒井由美の響きが似合っていた。(2005年11月16日)


 政治は改革断行一色だ。その意図があまりにもみえみえでしらじらしい。消費税は14%まで上げなければ、ここ数年で国家財政はパンクしてしまう。(一千数百兆円の個人資産を食いつぶしてしまう猶予年数)。政府の三つや四つをぶっ潰してしまいかねない消費税問題で、今、綿密な大芝居を打ちつづけているのが現政府の姿だ。国民をキン抜きした羊にするための呪文が改革、国の節約という言葉だ。これに成功すれば政府が一つ潰れるくらいで済みそうだという腹づもりであろう。政府、財務省の出来合いの大芝居が繰り広げられるはずだ。
 公務員を減らす、商工中金を民営にする、道路公団、無駄使いのしすぎ、などなど、ちゃちくさい瑣末にしかすぎない。消費税というところに視点は100%据えられているはずだ。
 小泉首相は日本の歴史に残る最大の芝居打ちだ。
 教育水準がある一定以上のほうが従順な子羊に市民を訓育しやすいのだろう。(夢遊病者のたわごと )
(2005年11月16日)


 神様が寒気団に乗って地上に降りて来る朝、
外の音は凍てついて、なんにも聞こえない。そんな朝の世界。この地に定住している鳥の声もない。寒波とはこういうことだったと発見した朝だった。
 (2005年11月17日)

 黒田慶樹さんと紀宮様が結婚された。質素な結婚式で好感がもてた。庶民もつつましやかに生きることを美徳となし、これまで以上に質実剛健の気風のなかにあられよう。
 生物的結婚の理想は、20代ではなかろうかと思う
そうあられる時代環境にあってほしいものです。
(2005年11月18日)


 大気が薄い鉄板を張り詰めたようになるとき冬の到来だ。今朝は1008ヘクトパスカルの低気圧が日本列島東北部に停滞したままだ。
 遠く線路から聞こえる汽車の音が丸みを帯びてくるとき、冬の到来だ。
 銅版の屋根を打つ散発的な雨の粒は清純で透明な音に変わっていく。
(2005年11月19日、土曜日)

 本日、庄内地方、午後の天気は100%雨の予報であった。だが昼に青空が空一面に広がった。それが午後四時までもちこたえた。だが四時を境に一瞬にしてどしゃぶりに変わった。秋の急変する天気の一面を知った。
 午後三時の天気図をみてみる。1022ヘクトパスカルの高気圧が東に移動して1012ヘクトパスカルの前線をともなった低気圧が東北地方北部を被っていた。
(2005年11月21日、月曜日)

小雨降る日曜日の明け方、モヤがかった大気越しにある田舎の風景は一面山水画の世界だった。田舎に住む者の贅沢だ。
 昨日は終日完璧なる秋晴れであったことを記録しておく。11月26日の土曜日。
 ここにきて体は10度台の気温にも、ようやく慣れてきた。冬を迎え打つ準備完了。
(2005年11月27日 日曜日)

 小雪がちらついた寒波の日として記憶しなければならない。
 地表をこする風の音は竹筒から搾り出したような呼吸音だ。
 生きているものに危害を加えようとするかのように、だが彼女はするりと身をひき、自らは雨やみぞれに変わって、生き物との共存の関係を築いていく。
(2005年11月30日)

 精米したての真っ白のもち米でできたせんべいを幾重にも積み重ねたような、無機質な今朝の大気だ。こんなしじまを作り上げるのが冬の正体だ。
 今朝の澄んだ大気は音さえも拒絶していた。
(2005年12月7日)

 昨日まであれほどピリピリしていた大気も今朝はどこか穏和だ。今朝の5cmに積もった深雪のせいだ。
 鶴岡市に今期初めての本格的降雪であることを記録しなければならない。
(2005年12/10土曜日)

 風が猛獣のようなうなり声を断続的にあげた朝、きっと根雪となる予感がした。そんな明け方の模様だった。
 戸のきしむ音、新聞配達のバイク音。生活音が鳴り出して、サア、生活の始まりだ。
(2005年12月11日 日曜日)

 大嫌いなものは、ピリリとした緊迫感を忘れたように、雪の季節に安住した季節の顔だ。
 全身で守りきった処女をやめた後のジダラクさに似たようなものを感じる。
 今朝は、平穏で無色で音さえなくした雪の空気だった。
(2005年12月12日 月曜日)

 今朝、突風のうなり音は、一枚の葉書を投げかけたようなお洒落感覚だ。
 突風が、外を一面清めた後に、ガラの悪いカラスの叫び声が響き渡った。生活音のある風景だ。
(2005年12月16日)

 昨日から今朝にかけて、ここ数年来、久々の寒波であり、地吹雪の日であったことを記録しなければならない。
 今朝の暴風雪は死に装束をまとっていた。それはあたかも生命は生まれては消えやることを教示するかのように、生命の営みを暗示する厳粛なものであった。
(2005年12月19日)


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 暴風雪が去った後のしずけさ。時間は一服したかのようにただよっていた。空間までも、どよっと、ゆがんでいた。
 倦怠感というよりも空白感に近かった。それは、手持ちぶたさの除雪車の仕草にあらわれていた。(2005年12月21日 水曜日)

 昨日の午後七時半頃、特急いなほは庄内平野ど真ん中で脱線した。この14号をぶっ飛ばした突風は、今朝うなり声をあげて、平野部を凱旋した。余裕と冴えたすごみのある響きをしていた。
2005年(12月26日 月曜日)

朝7時を告げる戸外の拡声器から流れるメロディも鉄板を敷き詰めたような空気に閉ざされ、どこか小さく聞こえる。
 今朝室内温度が零度であったことを記録しておく。(2006年1月7日 土曜日)

昼の2時30分、鶴岡市は完璧なる冬晴れだ。かりそめなのかもしれないが、ランニングシャツ一枚になってスキーを滑る感覚の気候であることを記録しなければならない。
2006年(1月11日水曜日)

 
 次に続く