さりげなくニュース2009.9.28
現代世界の覇者であるアメリカをしっかり見つめ直すことが重要となってきている。
チンギスハンのモンゴル帝国は似ているようで非なるものである。
世界に支配者であることを知らしめる規律の面ではアメリカはチンギスハンにはとても及ばない。支配されることを認めた後に裏切ったり、どうしても支配下におさまろうとはしない部族にたいしては、一族皆殺しの見せしめをなす徹底さがあった。一方のアメリカは言うことを聞かなくなったイラクのサダム・フセインを殺すことによって、アラブへのみせしめにしたがイラクの徹底的皆殺しは出来ていない。逆に撤退するといった体たらくでもある。
チンギスハンもアメリカも支配帝国として報復主義をその基盤としていることには変わりがない。現代の報復主義は核の使用で一族皆殺しを果たそうとする。そのメカニズムへの挑戦が核拡散の問題である。あちこちで核が普及しだすと、核での睨みがきかなくなってしまう。
広島市長がオバマ大統領を原爆記念館に招き、手をあわせてもらおうと呼びかけている。もしアメリカがそれに応じようものなら報復主義を捨て去ったことを内外に表明するようなもので、アメリカが世界の覇者であることを辞めたことの表明にほかならない。
次にチンギスハンのグローバリズムは被征服国の文化を自由に残して差別をつけずに統治したのに対して現代のアメリカ、グローバリズムは一神教特有のエリート好みを他国に押し付けようとするお節介がすぎるグローバリズムである。経済的な面でも両者には大きな違いがある。数十万の人口であるモンゴル民族が生きていくのには中国の一部を支配下に置きさえすれば事足りた。そうゆう余裕からか、領土拡大には搾取しようとする貪欲さが少ない。一方現代のアメリカは飽くなき経済的搾取への願望がある。これでもか、これでもかと止まるところを知らない貪欲さがある。チンギスハンがあらゆる民族、宗教にかかわらず人材を登用した姿勢は現代のアメリカにも通じるところがあるが、その平等間は根本的に相違している。アメリカの根底にはグローバリゼーションを推し進めるうえで遅れた文化の国に我がスタンダードな文化に変えるといった意識がある。それが一言で表現するならば、アメリカ流民主主義ということになる。これもイスラムとの関係でうまくはいっていない。対立の源となっている。
次にペーパーマネーの流通である。チンギスハンの孫の代、フビライ・ハーンの治世に基軸通貨としてフビライハーンの通貨が世界中に流通した。現代アメリカの通貨であるドルが世界中に主力通貨として流通している。それも第二次世界大戦後である。まだ、たったの60有余年にしかすぎない。現在そのドルへの信任が揺らぎだしてきている。国連のなかに主要通貨を組み合わせたバスケット制の共通通貨を作り出そうといった動きがでてきている。
以上統治の根底にある、力主義、グローバリズム、基軸通貨の面から現代のアメリカを見てみると、アメリカの世界統治は確実に終わりに近づいてきていることは明白である。