さりげなくニュースNo.289

「中国の心象風景」

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 この7月にお隣の国中国でおこったことは、ノーベル平和賞の受賞者劉暁波(りゅうぎょうは)氏の獄死である。

 中国当局としてはどうしても隔離しなければいけなかった人物でもあった。あの20年以上も前におこった天安門事件という民主化運動の流れを今に引き継いでいる運動であったからだ。この天安門事件は国民に銃をむけてでも鎮圧しなければならなかったケ小平の強い意志でもあった。その後一気に経済至上主義に突き進むことになった。あたかも経済の興隆のみによって国民への鎮魂歌でもあったかのように。

 中国指導部はグローバル企業の要請を飲み込んだ。

 世界のグローバル企業は中国の安価な労働力を活用してそこで生産されるものを輸入した。生産価値と販売価値との差額がグローバル企業の儲けとなった。

 その経済というものは自立的な繁栄ではなく、諸外国からの投資によって作り上げられた経済でもあった。急激な経済成長は末端まで行き届くということは無く格差は日に日に強まることになる。

 ここに共産主義理念から乖離することになる。

 世界で共産革命が起こった地域、ソ連、ベトナム、中国という国々は根底において平等観が血肉として根付いていた国々であった。わが国のように長男がすべての遺産を相続するといった不平等の国とは違っていた。強い父権のもとにあって、兄弟は平等に財産を分配した。

 これが共産主義革命をなしえた心性としてある。格差が広がる社会は到底受け入れ難く、また不安材料を残すことになる

 こういう状況下での民主化運動の興隆は、現一党独裁体制にどんなダメージを与えるかは明瞭に写った。

 民主化運動を弾圧する。弾圧し終えることはできた。しかし格差、不平等観は拭い去ることができない。経済が急激に発展した割には年金問題では大きな不安材料をかかえることになった。末端までGDPは行き届いていないのだ。国内の富は海外に投資され、国内の消費水準はGDPの35%といった寂しい限りである。経済はまるでソ連スターリンニズムさながらといった経済メンタリティである。国家が隅々の経済成長を引っ張っていくという体制である。

 軍事に関してはあまり恐ろしさを感じられないというのが正直なところではなかろうか。技術的遅れがみてとれるからだ。それでも、アジアで覇権を築こうとしている。だがうまくいかない可能性のほうが大きい。ベトナム、フィリピン、韓国、わが国とアメリカのシステムに入っていることを選んだ国々から囲まれているからだ。

 中国の国内状況は強い安定からは程遠い。危機が抜き差しならない段階にさしかかろうものならわが国も安閑としてはいられない。時の権力は人心の目を国外に向けるナショナリズムへと舵を切るからだ。隣国河岸の火事などとは決して悠長に構えてなどいられない。内心では歴史的先輩の中国をしっかりとサポートしていくとのシンパシーをひっそりでも持ち続ける必要がありそうだ。

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