さりげなくニュースNo.240
「
「土曜日、ギリシャはすべての
チャンスを置き去りにした」
ギリシャには、ユーロから離脱する選択肢は確かにあった。しかし、国民の意識の中では、そう思うことは、大きな流れ、主流の力の前に、反逆罪に匹敵するものであったに違いない。そのことは、世論調査で80%以上の支持で、ユーロ圏所属に賛成している意見に象徴される。
蚕が育つ繭(マユ)の寝床のような安心感をユーロにいだいているであろう感覚は、遠い東洋の地にある我々には想像もつかないことである。
国際通貨基金IMFがとっくに指摘しているように、ギリシャの債務は持続可能に返済しうる域を超えている。仮に指摘されてあるようなGDPの2%を30年間に亘って返済し続けよなんていわれても、突然の神の思し召しにより天から金が沸いても来ない限り息切れがしそうなことは誰の目にも明らかである。
ならば一層、視点を変えて、大戦後のアメリカがヨーロッパになしたマーシャルプランのような支援に考えが及ばないのか。あるいは、性格が違うが、ドイツに思い出させるように、第一次大戦後の賠償を決めたヴェルサイユ条約にドイツはどれだけ苦しめられ、次の戦争に向かったか。もっと時代を遡るならばフランコードイツ戦争でフランスに課せられた賠償問題をフランスに想起させることもできる。
ドイツ、マルケル首相は、鉄の女サッチャーに似てきた。ユーロに関しては微動だにしない。一国でもユーロから離脱しようものならば、ユーロそのものがガタガタになると当初から考えていた節がある。ヨーロッパ プロジェクトに強くこだわりを見せ続けてきた首相でもある。もはや、超大国の面持ちを秘めている。ヨーロッパの20年後、30年後を念頭においているはずだ。
同じドイツ国内にあって財務大臣のウォルフガング・シャウブレ氏は違った考えをもっている。(表情はもっともドイツ人らしい、几帳面な厳しい面持ちだが優しい発想をする)。
シャウブレ オファーというものがあり、マルケル首相を不愉快にしそうな提案であった。
ギリシャは5年の期間を区切ってユーロから離脱することが好ましいという提案である。後日、これほどにギリシャのことを考えてくれた人物は後先に居ないと語り継がれる可能性がある。
多くの叫びにもかかわらず域内でのデバリューションは制度化されていない。ユーロという単一通貨からして、それは当然のことではある。頭ではわかってはいるものの叫びはなくならない。
緊縮を強いられ、借金返済に飼い殺し同様になり、経済成長は阻害される。国民は、長くカルバリイ(Calvary)の地にあり続けると思い始めるかもしれない。
ギリシャの通貨ドラクマに戻すことは、とりもなおさずユーロからの離脱を意味する。そこで通貨安、デバリューションで、そこに価値を見いだしたマーケットの進出で急激な経済発展も可能な選択肢である。要は飼い殺しの中に国家を継続させるか、未知数の冒険に出るかの選択であった。左翼政権となったことがどうその選択に影響したか。一般的に、左翼政権は10年後を見据える思考の役割には向いていないような感じを受ける。どうだろうか。
2015.7.26
by K.Wada