「ヨーロッパの飛躍は可能か」
2014.7.13
By kiyoaki Wada
ヨーロッパは大変に病んでいる。構造的に多くの問題が露呈しだした。
わが国の場合、アベノミクスという大胆なインフレ政策に舵を切れたのは、最大の敵は日銀だけだったという身軽さがあった。 日銀は、政策的、動かぬ正義を持っている。笑い話になるが大学センター試験の経済の問題で正解はどれかという問題があった。詳細までは忘れたが、経済が不活発な時にお金を市場に出すか、それとも抑えるのがいいか。常識はお金を出すである。しかし日銀はお金を出さないを正解とする正義を持っている。これまでのいろいろなトラウマや、諸般のメンツやもろもろの主義がそうさせるのであることは理解できる。アベノミクスは、とにかく世情の動きに敏感な所属党ならではの敏捷さであった。これがイデオロギーにがんじがらめにされた党やその信奉者には絶対に出来ない芸当である。
同じようなことがユーロ圏で起こっている。わが国よりは何十倍も大変な変革が求められている。それに失敗するようだとヨーロッパ ソーシャル モデルそのものが瓦解する瀬戸際に立たされている。
ユーロ単一通貨の要であるEMUは、ある特定の国の為に機能しているのか、しかし、それはどの国なのかは知らない。しかし、アンフェアであることが言われだしてきた。
EMU(ヨーロッパ マネタリー ユニオン)が構造設計されたときに瑕疵がまぎれこんでいたのではないかという指摘である。
現在EU内で片手に余る国々が債務危機に端を発した苦悩の中にある。そのなかでも、ギリシャ、イタリアがあげられるが、それらの国においては、民主的に選ばれた政権はテクノクラートが運営している。
若者の失業率が50%もある経済はどう考えてもおかしい。正常な国の体をなしていない。この状態が長く続くことは今だけの問題ではなく、将来の国のテクノロジーの面や文化を担う社会の基礎をも蝕んでいることを意味する。
今では遅すぎるが、もっと早い段階ならば、国内的デバリューション政策を選択できたはずだ。競争力を勝ち得るためのコストカット政策だ。雇用を削減して、賃金をカットして経済を立て直すことができたはずだ。今ではこの政策はひっくり返ってもできない。
なぜやらなかったのか、あるいは、できなかったのか。可能性としてEMUの制度設計にその解がありそうだ。EMUそのものの存立が、かかる国内的デバリューションを封ずる思想が内在していたと考えるのが至極妥当だ。
EMUの思想のなかに、構造的な面を含めた失業基金をGDPの5から7%拠出する基金を創設するなどの案がでてきた。
EMUが何に気付き、何に気付かないか。それとも、世紀の大実験であるヨーロッパ社会モデルを放棄するか。その二者択一の縁に立たされている。
蛇足になるが、EUで一番得をしている国はドイツである。他の国の何十倍もの基金を拠出しても余りある。
その得とは、ただ同然で安全保障を得たことである。フランスの核は、EUの深化で自国の核保有でもある。その点、同じ敗戦国であるわが国の場合は、中国をからめた東アジア経済圏の方向は頓挫したかに見える。むしろ戦争に打って出るか、それもかなわないとなれば、自閉症的に鎖国体制へと閉じこもりかねない方向にみえる。ここ数年が正念場であるに違いない。