「イラク混沌に見るアメリカのモンロー主義へ」
2014.6.29

 

       By kiyoaki Wada

 イラクから米兵が撤退して2年が経過した。今イラク国内は内戦前夜の様相を濃くしている。
 
 13世紀サマルカンドの都市がモンゴルから攻められて以来8世紀が経過している。
 
 砂漠の国は石油というエネルギーを産出したために欧米に狙われてきた。持てるものの宿命なのかもしれない。
 
 イラク戦争にはわが国の小泉政権も支持を表明した。イギリスのブレア政権も支持した。両者ともに、アメリカのプードル、ポチと蔑視されてもブッシュ大統領に忠実であろうとした。
 
 この戦争では十字軍の色彩は感じられない。
 
 中東における石油支配という意味では利益の少なかった戦争という結果になった。ただ決済通貨としてのドルの基軸制を守ったということにおいては成果があった。他の産油国への見せしめとしてのインパクトは相当なものであったはずだ。しかし、それも、サウジアラビアにとって宿敵であるイランの台頭とともに色あせた観がある。
 
 アメリカの国内的な問題としては、この戦争によって軍需産業の衰退を食い止めたことがあげられる。
 
 今では、中東の混乱はイランの協力なしには一歩も前に進まない状況になってきている。
 今月の13日オバマ大統領は、イラクへの軍の再派遣を否定した。それと同時にイランとの接触の機会を模索し始めた。
 
 さて、スンニ派戦闘集団であるISIS(Islamic State of Iraq and Syria)はイラク第二の都市モスルを制圧して、現在、首都のバグダッドへの進軍途上である。そして首都近郊にて足止めをしている。

 ISISはこれまでアルカイダの指示系統に従ってきていたが、ここにきてアルカイダとは袂を分かっている。
 
 アルカイダは、アメリカと近親憎悪の関係であり、成り立ちからアメリカとの係わり合いが取りざたされてきた組織である。ある時からアメリカに死を、と叫び、また利用価値の無くなった過激組織に対してアメリカは、トップの掃討作戦にでる。
 
 今回話題の中心となっているスンニ派過激集団ISISは、どちらかといえば、アフガニスタンのタリバンや、レバノンのヒズボラに近い存在である。
 
 ISISは、レバント地域(地中海周辺地域)に国家を樹立しようとする民族団体の色彩を有している。
 
 イラクの人口の20%を占めるクルドは北部の都市キルクークを押さえている。ISISは北部の都市ラッカを首都に600万人を統治している。
 
 マリキ政権がアメリカの傀儡であったとしても、国民の六割を占めるシーア派の政権であることに変わりは無い。そこにはシーア派のイランからの軍事顧問団も入っている。ISISという数千人規模の集団が独自の判断でバクダッドへは絶対に進撃できないはずだ。スンニ派各部族の意向や、フセイン下で独裁を謳歌したバース党員の残党の意思というものも微妙にかかわってくるはずだ。
 
 アメリカはここでも指導力を発揮できないことになりそうだ。あの電子スパイ組織からスノーデン亡命事件を招き、手足をもがれたアメリカというイメージだ。ドイツ首相メルケルの携帯通話を何年にも渡って傍受し続けたことが明るみ出て、アメリカの覗き見の節操のなさが遍く知れ渡るに及んだ。信用は丸つぶれとなる。これらが重なり合わさって、アメリカは北米と南米の地域に引っ込み、遠くの国々へは関与を減じるモンロー主義に向かいそうだ。