「プーチンの政治力はグルジア問題に続きウクライナでも勝る」
2014.3.16
By kiyoaki Wada
つい先頃に兄弟国であったグルジアと戦争を起したばかりのプーチン。今度も兄弟国であるウクライナと、冷戦後最大の紛争に巻き込まれている。
旧ソ連の中庭で起こっていることに欧米特にアメリカが深く係わっているが、西側に属しているわが国には、一方の情報しか入らない。
ことの発端は、ウクライナの大統領が任期半ばで追い出されたところにある。誰が追い出したか。それは、EUとの関係を強化しようとする民俗派によるものであった。彼らは暫定政権を作り、前政権を乗っ取ってしまった。議会の総意というところに、一見正当性の体裁を繕っている。大統領選挙は前倒しでなされることになる。
ウクライナという国は1900年代初めに、幾度かのウクライナ、ソビエト戦争を繰り返した後に、1922年にソ連の一部になった。そして、ソ連が崩壊した1991年に独立している。現在ロシア系住民は二割を占めている。
今回の政変劇でプーチンを激怒させたことがある。民俗派の暫定政権がロシア語を公用語から外し、ウクライナをウクライナ人だけの国にしようと目論む。民俗浄化の匂いを嗅ぎ取ったことが考えられる。その民族浄化の流れを嗅ぎ取ったプーチンは、ロシア人の保護に動こうとする。
アメリカがウクライナに関与したのは2004年の大統領選であった。ソロス財団のそれは、公然と行われた。冷戦思考のなかにある特に軍産複合体の米国タカ派は、どうしてもロシアの覇権拡大は許し難いと考える癖があるようだ。
わが国の思考が親米か、それとも反米かに二分されるように、ウクライナの政変は、すべて親ロシアか反ロシアかで繰り広げられてきた。
2004年に誕生した反露政権であるユーシェンコ大統領は、何度かのやり直し選挙で大統領についた。この選挙ではアメリカの資金援助など関与がとりざたされた。その後経済の状況は悪化をたどり、2010年には、今渦中の大統領であるヤヌコービッチ政権となる。親露政権である。今年の2月に親EUである民俗派によって倒された。
ウクライナの貿易量の三割はロシアとのもので、ウクライナの発展はロシア抜きには成り立たないことも一面である。
ロシアの方向に目が向いていたヤヌコーヴィッチはEUとの政治、貿易協定の調印を見送った。それが一気に大統領の追い落としへと連なった。
プーチンは目下、ロシア版EUを目指してコーカサス、中央アジアを固めている最中であった。その中に当然ウクライナは重要な国であることに変わりは無い。プーチンによるユーラシア経済同盟、関税同盟である。プーチンのソ連復活策に他ならない。冷戦思考のアメリカ、タカ派にとっては、なんともおもしろくない。アメリカは他国に内政干渉し、プーチンは反露政権に対しては、ガスの供給制限で対抗する。ロシアと貿易量の多いEUとしては、貿易量の少ない外野のアメリカと心中するわけにはいかない。リップサービスこそすれ、本心はロシアとは事を荒げることを好まない。これが本音であるはずだ。
ロシア住民が六割のクリミア自治共和国帰属問題での国民投票は3月16日行われる。そこでロシアへの帰属が決定する。ソ連時代、ウクライナ出身のフルシチョフがウクライナに帰属させてから半世紀ぶりにもとの鞘に戻ることになる。