「民主主義が遠のくであろうイタリア」
2013.12.22

 

       By kiyoaki Wada

昨年は暮れの土壇場で沖縄と本土のバトルが繰り広げられた。
 
 アメリカにとって世界で唯一海外での海兵隊基地がある沖縄である。その基地の移転をめぐる攻防である。
 
 沖縄県知事のメディアに登場した表情は強いバトルの痕跡を強く匂わせていた。沖縄県民の民意に反し、また自分の公約に反しても辺野古移転に道筋をつけることになった埋め立て許可に同意することになる。安倍首相の追い込みは想像を絶する域に達したものと想像される。
 
 アメリカの沖縄に駐留する意義は相当に薄れている昨今、日本政府が駐留負担の大半を出すから、しぶしぶ駐留している。そういう段階にきている。イラン、アフガニスタンへの攻撃基地としての役目も終了した。中国との海洋における住み分けは、小笠原諸島からグアムを結ぶ第二列島線までの進出をアメリカが認めることによって、強い緊張は和らぐことになる。
 
 このような状況の中、ヘリテイジ財団からどのような智慧を授けられたものか、石原東京都元知事による尖閣諸島買い上げ騒動が持ち上がることになる。その中国の最終的攻撃の集大成がADIZ(エアデフェンス アイデンティティ ゾーン)防空識別圏問題である。アメリカはこの問題では、わが国にリップサービスはするものの、事実上それ以上のわが国への肩入れはしなかった。
  
 これまで、西側の石油戦略に最大限の恭順をアメリカのためにしてきた、最大の同盟国であるサウジアラビアの離反を招いている。この事実からこれまでのアメリカの同盟関係は、これしきのものであるというメッセージを中国はまちがいなく受け取ったはずである。またシリアを攻め切れなかったアメリカは優柔不断な国家として、一極支配に酔いしれた先頃の栄華はとうに失われたというメッセージも同時に発信されたはずだ。
 
 わが国の方向としては日米同盟にすがりつくことを優先順位の上位においている。その点で中国との緊張関係は、率先して緩和する必要はない。首相の靖国神社参拝問題の政治的解釈は、かかる点から見るべきである。
  
 さて、本題に戻ることにする。
 暮れも押し迫る17日イタリアのトリノにおいてデモが繰り広げられた。EPAというヨーロッパの通信社が写真を配信した。学生、何百人の輪は、巨大な一本の布の帯の中に、イタリアの国旗である三色カラーで覆われた。若者の失業率が41%のイタリア若年層全体を代表するかのような映像である。わが国の若年層の失業率が10%弱である。はたして41%の数字が実感できるだろうか。
 
 シティグループの見立てではイタリアの経済成長率は2014年の0.1%、2015年の0%である。
 
 イタリアの苦境からの脱出は、ユーロからの離脱で事は済むのか。ヨーロッパセントラルバンクであるECBのトップであるドラギ氏の先頃のヨーロッパ議会での発言がどれだけのサポートとなりえるのか。

  ドラギ氏はユーロの40%デバルーション(貨幣価値の減価)を打ち出した。しかし、まもなく民主主義は危機に瀕するであろうイタリアに対して忍耐を強いること以外に有効な政策を提示しているようには見えない。
 
 80年代におきたファッシストによる鉄道爆弾事件。数年前は税務機関に送られた郵便爆弾でそのトップは失明している。
 
 国内の統治は不安定な状況であることを認識しつつ、法は厳格に守られる必要があるとナポリターノ大統領の精一杯な発言が痛々しい。
 
 比較の意味で、わが国は非常に安定している。ただ、4月からは要注意なのかもしれない。