さりげなくニュース2013 .5.19

 
  ヨーロッパは、まだ苦境の真っ只中から抜け切ってはいない。南と北の地域における経済格差はユーロ統合を崩壊に導きかねない。
 
 南のギリシャに始まって、イタリア、スペインに連鎖し、今はポルトガルが今年中に危ないと囁かれ始めている。
 
 ここにきてユーロを引っ張ってきたドイツとフランの大国同士に隙間風が吹き出してきた。
 
 仏オランド大統領の社会党がドイツ首相のメルケルを批判する言動には、厳しいものが含まれている。
 
 オランドの選挙公約に思いを馳せる必要がある。現状への特権をまもり、社会サービスは維持するという公約で当選した。これが、フランス病の始まりなのか、それとも社会党特有の甘えなのかは議論のあるところである。ただ、フランスは、経済の競争力を喪失して、ヨーロッパ最大の問題児になりつつある。同じ社会主義でも中国共産党の皇帝である習近平の社会主義とは大きな違いである。貧困度を計測する数字であるジニ係数は、0.4台と革命が起きてもおかしくはない中国に対して、オランドのフランスは、労働者を相当に甘やかしている。それは社会党の伝統的思考のなせる宿命なのかもしれない。ドイツなどは、2005年に単年で労働給与を4.4%も落とし生産性の向上に血を流すといった荒療治をなした。その結果、給与ダンピングで勝ち得た国際競争力と揶揄されてもいる。ところで、フランスの甘ったれぶりは、最低賃金にも見て取れる。全体給与の中央値から0.6%のところに最低賃金を設定しているところにも見て取れる。これらが硬直性を招き、産業の効率や新たな市場への参入への足枷ともなっている。それらに輪をかけたように労働者の通年の労働時間が短いときている。それに、特筆すべきは、55歳から65歳に占める勤労人口はイギリスやドイツが軒並み60%近いのに対してフランスは、40%弱である。(原理主義共産主義思想が根底に残っているせいなのか、人類は労働の束縛から解放されて余暇は芸術などの文化に時間を割くことが理想であると主張しているかのようである)。この行き着く先はギリシャの当時の政権をいとも簡単に吹き飛ばしたように、オランド政権も決して道のりはばら色とはいかないかもしれない。
 
 そのフランス社会党のメルケル批判は、個人攻撃の域だ。メルケルは、自国の預金者の通帳にだけ興味があり、ベルリンの貿易収支だけに関心がある。そして、自らの次の選挙のことだけだ。ここまでいわれたら、次に救いの手を差し伸べましょうとはならない。これは、人情というものだ。
 
 話をわが国に戻します。中国との関係をじょうずにクリアできないとき、どんな強がりをいっても明日からわが国に暗雲がたちこめる。尖閣問題だ。この問題はわが国と中国の問題というよりは、本質はアメリカと中国の問題であると見ることにより、事の本質をつかめるはずだ。
 
 習政権は胡錦濤に比べて、北京育ちと言うこともあるせいか、面子を大切にするようだ。それに軍事に力をつけ、19世紀以前の中国の世紀を取り戻したいはずだ。世界に朝貢外交を強いる強い中国を取り戻すための布石を坦々と築いていくはずだ。そのことは、わが国の存在をわが国が思うほど歯牙にはかけてはいない。わが国の企業が中国から全部撤退することによる1,000万人の雇用が中国からなくなるとしても、それが何なのだ、ということだ。わが国が中国におんぶしているより中国のわが国への依存度は少なくなってきている。
 
 尖閣諸島は、ケ小平の時代から棚上げで進んできたものを民主党という仮免許の見習い政権であった野田前首相による突出があった。
 
 中国の内海、東シナ海には、沖縄という米軍の軍事基地があり、台湾というアメリカの武器で武装した島がある。中国としては、第一列島線に位置する尖閣が三つ目に武装されることは武力にうったえても阻止するはずだ。尖閣は、アメリカと中国が太平洋をどのように二国で分割するかの一端としてでてきた領土問題であると理解するのが当を得ている。