さりげなくニュース2013.4.28

 
   4月8日イギリスの元首相であったマーガレット・サッチャー氏が87歳で他界した。晩年は長らく痴呆症を患った。息子への子煩悩さも話題となった。
 
  鉄の女サッチャーがイギリスというイギリス病にとりつかれた国を蘇らせた手腕は、わが国の現在の政治に、語りつくせない教訓を与える。
 
  サッチャー氏首相在位は、1979年から1990年の11年間であった。この間小さな政府に徹した。わが国の国鉄のようにどうしようもなくなった労働界にメスをいれ、労働戦士としての素顔の回復に成功した。追悼式においても、労働党の人から口汚く罵られているということは、当時の改革がどれだけ壮絶なものであったか想像に難く無い。
 
  民営化に取り組み、所得税を半分の40%まで落とすといった大胆な施策をうちだした。わが国の小泉改革も民営化を主眼にはしたものの郵政民営化一つとってみても中途半端に終わっている。
 
  国家の格付けAAAからAAに陥落はしたものの、一流国家としてやってこれたのも、サッチャー氏の改革に負うところが大きかったと認めざるを得ない。
 
  一流企業の30代の若手7〜8人を集め、毎週水曜日に議論させた。そのなかから小さな政府の取り組みが骨格となっていった。
 
  教育問題にも鋭いメスを入れた。植民地支配に対する批判的な教育カリキュラムの自虐性は許せなかったのであろう。
 
  わが国の戦争責任への自虐性は目に余る。もはや、国民を内部からズタズタに崩壊させかねない危険性を孕んでいる。サッチャー氏の取り組みはわが国へなにがしかの示唆を与えるものだ。
 
  彼女のなした功績の最大のものは、イギリス病といわれた経済の長期低落化にメスを切り込んで、今の一流の国家の礎を築いたことである。ついでレーガン大統領との相性の良さからか、ゴルバチョフとの橋渡しをなして、冷戦の終結に道筋をつけたことである。また首相3年目の時は、フォークランド紛争が起きた。256名の人命を失いながらも多数の爆撃機を飛ばして、領土を確保した。
 
  インフレ退治に取り組むサッチャー氏の当時は失業率は20%と一時、改革のスピードを緩めざるをえない局面もあった。
 
  話をわが国に戻す。現在大きな政府に向かってひた走っている。たぶん20年後のことを考える余裕のかけらもないであろう。現政権がやろうとしていることは、金融緩和QEである。
 
  デフレの退治は遅きに失した観がある。この25年間なんらの手も打たずに、ここまで来た。累積財政赤字は国内総生産GDPの245%(ネットで145%)に達している。それに大量に発生した団塊の世代を年金で養わなければならない。それに人口は2005年以来減り続けている。また、定職から放り出された労働条件の悪化は、若者の結婚比率低下に連なっている。。こういう土壇場の段階でのQEである。ドルや元に対して円は20%下げ、ユーロに対しては30%の下げ幅である。はたして、ドルにたいして100円で安定する保証はあるのか。それも、日銀は政府の財政赤字の70%を毎月引き受けることになる。
 
  改革には痛みがともなう。並大抵の覚悟ではできない。わが国の方向は、ひたすら拡大路線を突っ走るように見える。インフレをコントロール出来なくなった先に何が待ち構えているかは、考えただけで身の毛がよだつ。