さりげなくニュース2013.1.27
我が国の新政権は初外遊に東南アジアを選んだ。当初考えたアメリカへの初外遊はかなわないものとなった。
アルジェリアでの邦人人質事件と重なり早めの帰国となった。
インドネシアでの五箇条のスピーチは、中国包囲網をにじませる傲慢なものであった。かつての低姿勢の経済協力と発展に尽くすといった姿勢からはかけ離れたものであった。
安倍新政権の門出はインフレターゲット目標を2%においたマネタリーイージィ、金融緩和の打ち出しに始まった。日銀は日銀法改正までも視野にいれた安倍ノミクスの前に全面降伏した。
ドルの崩壊が叫ばれて久しいが、ここにいたっては、ドルの前にわが国の国債が暴落、円の崩壊のほうが早いのではないかといった危惧が出始めている。市場にジャブジャブと円を放出して経済が活性化するならすべてはハッピーである。そうならなかった後遺症を憂えるのも真っ当である。
政府すなわち官僚主導の方向性は智慧が欠如しだしている。安易に増税に走り、弱いところを絞り始める傾向が顕著に成り出して来ている。震災予算を別目的に振り向けたり、自賠責保険からの借入金を別目的に充当したりと節操がなくなりつつある。それに比例して国というものの信用が一般大衆から失われていく。その後遺症は、いざと言う時の国家の号令にたいして一般大衆は疑心暗鬼な態度をとることになる。これでは、いざと言う時の国家の指針は徹底されなくなる。どうも明治維新以来の官僚国家体制に賞味期限が見えてきた嫌いがある。
中国包囲網を気持ちのうえで持っている時、それならば、その具体策として、北朝鮮、ロシアとの係わりあい方をどうするのかは、当然考えてしかるべきことではある。しかし、アメリカナイズされたところにレゾンデートル、存在基盤を置く外務省にその能力も、意思もあるはずがない。そういう意味でわが国の制度は賞味期限を迎えたと断言できそうだ。
話は変わってヨーロッパの実情はどうなのか。欧州委員会委員長のバローゾ委員長は2013でのEUの崩壊はないと言っている。EUの執行機関で職員25,000人の頂点に立つ人間の発言には重みがあってしかるべきである。だが彼の出身地のお隣スペインの実情は惨憺たるものだ。若者の失業率が56.5%の国があるということに、どんな民主主義も語る資格はない。バローゾドクトリンはいかなるものなのか、彼はユーロにおけるexistential threatには打ち勝ったと述べている。この存在的恐怖という単語は、とてつもなく意味深に響く。スペインの売れ残り住宅事情の例に見るまでもなく、スペインでは、カタロニア独立の動きもでてきた。彼らは、その目的達成のためならいかなる手段をも厭わないと自己主張を始めている。かつてマオリスト(毛沢東主義者)のバローゾは、楽観しているのか。
スペインは、こんな困苦の中に耐え忍ぶのは未来に希望が見えているからか。そうでなかったら、早々とユーロから離脱して自国通貨を取り戻し、負債は負債デノミで帳消しにし、現在売れ残りの200万戸住宅はデバリューション(通貨の減価)の手法で改善へと国の経済を立て直すことも出来る。しかし、彼らは、苦難に耐えている。
わが国の将来も必ずしも明るくはない。明るくなるも暗くなるも、施政者の方向性のタレントにかかっている。改革者小沢一郎は倒れたが、次なる人物は出てくるのか。すべてはそのところに帰着しそうだ。