さりげなくニュース2011.8.07

 列車追突事故での、中国政府の慌て様は尋常ではなかった。なににいったい恐れを感じていたのだろうか。
 
 被害者家族の、強烈な抗議の前に、賠償金は、一瞬のうちに跳ね上がった。
 
 2008年の世界的金融危機以前までは、中国の外交姿勢は協調的であった。それが金融危機を境に態度は一変しだした。
 
 欧米の力が低下しだすのと比例して、中国は国威を高揚させ始めた。
 
 なんだかんだ言っても中国が、対外的に怖いものは、それは、アメリカである。国内的に怖いものは、一党独裁制の正当性が否定されかねないナショナリズムの高揚である。
 
 2012年までに権力がスムーズに移行し終えるまでは、極力不安定な、国内状況は避けたいところでもある。それが、列車事故での、映像で見る温家宝首相の、腰の低さに象徴されている。額が地面に着かんばかりの低姿勢であった。このところから、中国は民主化へむけてのソフトランディング途上にある国だと考えることが出来るようだ。
 
 中国経済の短期間での高揚の立役者の一つは、地方ガバメントによる農民の土地収奪が上げられる。収奪という言葉がきつすぎるならば、低価格での囲い込みという表現でもいい。これが原資になっていることは否定できない。
 
 中国当局は、過度のインフレに対応すべく十分な手を打ち始めている。その成果なのか、住居用財産の価格は昨年に比べ、たったの7%しか上がってはいないと胸を張る。
 
 いつ弾けてもおかしくはない中国経済の癖というか、傾向というようなものは、銀行信用(クレジット)の18%は不動産が占めているという実態にある。これは、異常な部類と見られている。
 
 住居、商業用不動産のGDPに占める値が12%である。これが末端の鉱工業、製造業につらなり、成長を担ってきている。その大元の不動産バブルが弾けたときの衝撃たるや、すさまじいものとなりかねない。
 
 消費に大きくシフトし過ぎた欧米がこけ始めた。一方、GDPに占める消費が30%と、これまた投資に大きくシフトし過ぎた中国経済が一方にある。経済の歴史は、このようなどちらか一方に偏りすぎた経済は、持続可能ではないと教えている。
 
 中国は周恩来の教えを長らく守り続けてきた。それは、欧米の策動にはじっと耐えて、軽々にもその策動にのせられてはいけない、という教えでもあった。
 
 2008年以降、中国の外交は180度転換しだした。公海上を航行していた米海軍音響測定艦の行く手を阻むという事件。次いで南シナ海領有権問題にからみ、ASEAN地域フォラムで、中国外相は、東南アジア諸国に対して、問題解決に外部パワーを巻き込んでの問題解決を強く牽制した。きわめつきは、わが国の海上保安庁の船への衝突事件があげられる。親中国の民主党政権が出来たときに、その利益を度外視してまでも、強硬な姿勢を貫かなければならなかった、中国の国内事情とはどこにあったのか。
 
 中国政権がナショナリズムに神経をすり減らす以上に、他の団体の発言力が強まりだした。軍、国有エネルギー企業、主要輸出企業、地方の党エリート。彼らの利害は、外交政策と密接にリンクし出している。これらが政策決定に与える要素を低く見積もれなくなってきている。