さりげなくニュース2011.7.24
古い自民党体質に嫌気をさして、民主党政権に衣替えをする決断をした。では、古い自民党政権とは何が古かったのか。
戦前は、国民の気持ちを結び付けていたものは、国体としての天皇という実体であった。それは、かつての巨大な文化圏であった中国に飲み込まれずに存在感を発揮することに一助となりえた。その後、アメリカの統治政策の下、新しい憲法の下、
統治の主体は、国民自らと規定された。われわれは、どういう方向に進路を選択したか。それは、地域共同体というよりも、家族的な会社であった。会社に人生をかけた。会社はそれに応えて、終身雇用という約束を果たしてきた。それがいつの頃からなのか、経済の主要目的が変化し、雇用の重要度より別物を経済の方向性を見出すようになってきた。企業の効率的儲け主義と一致したかのように、人材派遣法を制定し、労働を生産のコストと考えることになんの違和感も感じなくなる。
かつて、国民は、会社に対して、日本国民そのものを感じた。今、会社はとうに、その機能をなくしている。では、国民の日本人としての拠りどころは、どこに見出そうとしているのか。いけいけの経済成長は、新興経済国の前に色あせた存在である。それでは、世界に日本らしさを発信する何かを持ち合わせようとしているのか。たとえば、被爆国としての平和とか。だが、そんなものはなさそうだ。
ここ10年の大きな世界のうねりは、従来、世界を牛耳ってきた欧米の発言は後退して、世界の人口の40%近くを占めるインド、中国を中心としたBRICSの力を無視できなくなってきている。
我が外務省が推進する、アメリカにつくとか、初期民主党政権の中国よりといった、二者択一の思考ではなく、ポスト会社を担う国民の拠りどころを見つめ直す必要がありそうだ。前置きが長くなった。
ユーロ圏は、ほんとうにたいへんな状況に差し掛かってきている。債務デフレーションのなか、債務国には、さらなる緊縮経済を強いられている。まともに借金を払えないポルトガルへのペナルティ利率は一時16%であった。さすがにこれは、3%まで引き下げられはした。失業率12.4%。若者のそれにいたっては、28.1%である。他のスペインのように20.9%(44.4%若者)よりは、まだましではある。公私の負債額はGDPの330%で世界でも最悪国の一つとなっている。 ユーロ圏内での債権国であるドイツの視線、ものの見方は、利己的で不親切に映る。
債務に苦しむスペイン、ポルトガル。ギリシャ、アイルランドは、ヨーロッパからの緊縮経済の要請と、国民をなだめなだめして、期待に応じようとしている狭間に立たされている。債務救済も十分になく、金融的刺激策での債務の相殺効果も期待できず、きわめつけは、統一通貨のためにデバリューションという通貨の減価政策による経済の上昇も期待できない。
一方、アメリカは債務の上限を広げる法案が通らなければデフォルトしかねない状況にある。国債の低い利子率からみて、このデフォルトは借金の能力がないデフォルトではないことが言える。
デフォルトとするということは、公務員の給与が未配になり、政府と取引している業者が倒産の危険に会うということを意味する。影響が生半可なものではありえない。
格付け会社がアメリカの国債をAAAから引き下げる可能性があると発表がなされた。かつて、こんなことは、想像も出来ないことであった。中国は外貨の預け先を40%位はユーロなどに散らし始めていると見られている。