さりげなくニュース2011.6.12
諸外国の目には、今回の原発事故はどう映ったのであろうか。
ガーディアン紙の記事から拾ってみた。
福島市内の学校にも衣替えの季節は訪れた。本来なら重い冬服から夏の服装に変わるはずであった。しかし学校側は、できるだけ体内を防護する厚手の服を推奨していた。
子供たちが遊ぶグランドの土から発せられる放射能の一年間に浴びる限度を1ミリシーベルトとしていた。それを引き上げ20ミリシーベルトにした。この数字は、核プラント労働者に許容される値と同じものであった。これには、さすがに良心を咎めた男がいた。政府の核アドバイザーを勤めていた東京大学の教授である。彼の辞任へと繋がった。このこと一事にしても、政府の対応がいかに場当たり的であったかを示すものであった。
ガーディアン紙は、福島市内に住む人の談話を紹介している。
福島の悪名は、人々の上にずっしりとのしかかり、福島の家は、放射能と同義語となり、それでもこの土地で生き、学校にも行っている現実がある。子を持つ女性の発言であった。
子供たちが遊ぶグラウンドから発せられる放射能に関しても住民の政府に対する不信感は高まっていた。
この土地の放射線量は元々は、0.04マイクロシーベルトであったものが1.32マイクロシーベルトまで高まった。政府の示すものは、3.8マイクロシーベルト水準では、一時間以上の戸外での運動を慎みなさいというものであった。子供を思う親たちは、政府など度外視してグラウンドの土を移動させた。機械ががうまく働かないなら、自らがスコップを片手に、うわ土を移動した。その結果、放射線量は0.25マイクロシーベルトまで減じることになった。しかし、親御さんの嘆きは続く。在りし日の状況に戻れるなどとは思ってもいない、と発言している。子供たちは夏を控えてプールの授業が始まるが、戸外のプールは使用することが出来ず、近くのスポーツセンターでの授業にならざるを得ない。
日本人の心である米を生産している人からの談話も掲載している。彼らは自分たちの作った米を食ってもらえるとは金輪際思ってはいない。それに、政府が語ることで安心を得るかという話では、金輪際ないと言う。こんな談話をはたして国内の大手マスコミは取り上げるだろうか。政府に気兼ねして書けはしないはずだ。外国のメディアだから、本音を言えるし、また、書くことも出来る。
国際原子力機関であるIAEAは数ページの報告書をしたためて、政府と東京電力に提示した。その中で一貫して触れられていることは、プラント労働者の健康モニターをしっかりとチェックすることを促している。それとともに、何千人もの児童を含む一般人への配慮も強調している。
今後わが国が対外的に問題をかかえるものがあるとすれば、外国人の被爆にたいする巨額の賠償問題が危惧される。わが国は、原発の安全性にたいする多大な自信のためか、原発損害賠償に対応する国際条約に加盟していない。米国人に訴えられた場合には、米国での裁判になると指摘されている。弱り目にたたり目は、ロシアの発言にも見て取ることが出来る。わが国との平和条約は必要ではない。このままでも十分だという政府高官の発言がわが国の新聞で、ベタ記事で紹介されていた。