さりげなくニュース2011.3.31

   ヒットラー並みの独裁者、そんなイメージが国際的について回るリビアのカダフィーに空爆が行われた。
 
 
 カダフィーが支持者の前で演説する肉声が公開されている。同じ抑揚の調べを何度も何度も、それこそ全身で、かなぐる姿は、病的かつ、宗教的でもある。あるいはヒットラーの気力に合い通じるものを感じられる。
 
 カダフィーが反体制派を弾圧し出し、優勢さを取り戻し始めるや、フランスが積極的に音頭をとり始める。国連安保理は動き出した。
 
 拒否権をもつ五カ国のなかで、軍事介入に拒否権を発動した国はなかった。しかし、ロシア、中国は棄権に回った。非常任理事国のなかで、この軍事行動に反対の国はドイツ、ブラジル、インドといったところだ。
 
 トルコにいたっては、フランスのスタンドプレーに感情的敵対心を露にしている。サルコジ仏大統領は就任以来初めてアンカラを訪問したが4〜5時間滞在しただけで早々に立ち去っている。国賓待遇以下のもてなしに近かった。
 
 トルコ首相エルドガンにとってフランスは、EU加盟問題でトルコに一番手厳しい。ドイツが温和にトルコの加盟に反対するのに対して、サルコジは、カルチャー面を前面に出してヨーロッパから排除する態度をし続けてきた。こういう両国の個人的感情を背景に、今回のリビアへの軍事介入に対してトルコのフランス批判は、手厳しい。フランスは、リビアの油と地下資源への利権を目指していると、歯に衣を着せずに批判している。
 
 クラウゼウィツ流に、今回の人道主義的軍事介入の戦争というものを定義するならば、非政治的と定義しうる。
 
 国内基盤が弱く、かつ、次期再選を控えているサルコジのリーダーシップとは反対にオバマの腰は引けている。イラク戦争において国連を無視して単独に軍事行動を起こした反省に立って、今回は国連の同意を得ての空爆である。ただ、国内議会対策として綿密な根回しが不足したことに批判が出ている。
 
 人道主義に基づいた今回のリビアへの軍事介入において、オバマはカダフィーの排除を謳っている。それなくしては、人道上の解決にはならないと言わんばかりである。しかし、この軍事介入のゴールが見えていないことには変わりがない。オバマの高官は、反体制側に武器を支援すべきと発言する。ここに至っては人道主義的軍事介入という意味を逸脱してしまう。
 
 90年代、アメリカは同じような軍事介入で手痛い撤退を経験している。ソマリア内紛に対して、アメリカ軍を中心とした多国籍軍を国連安保理は派遣した。時のアイディード将軍は、国連に対して宣戦布告した。アメリカは撤退して、内戦に介入することの困難さをいみじくも証明することになった。
 
 今回のリビアへの軍事介入はフランス、イギリス、アメリカを中心としたNATO多国籍軍で展開されているが、巡航ミサイル一発を発射するのに一億円の費用がかかる。最新のものであると二億円の出費である。イギリスや、フランスに戦争コストに耐えうる力量がありえるか。この点からこの戦争はアメリカの戦争でもある。
 
 はたして、イラクに10年間かけた戦争費用は、元を取れたか。利権はイランに奪われる結果になりそうである。はたして、長期化した場合、アメリカは中東で三つの戦争を同時になしうるのか。はなはだ疑問でもある。