さりげなくニュース2011.2.13

   エジプトの首都カイロ、タハリール広場には、何十万人ものデモ隊が集結した。お隣のチュニジアでは、ベンアリ大統領が23年間の独裁政治に終止符を打ってサウジアラビアに亡命した。時を同じくエジプトの群集は30年間のムバラク独裁に終止符を打つべくデモを激化させている。
 
 世の中に独裁政権は多々ある。プーチンのロシア、共産党一党独裁の中国。ナザルバエフのカザフスタン。
 
 年間10万件のデモに襲われている異常とも見える中国の独裁政治は民衆の手で打ち倒されてはいない。エジプトとの違いは、中国の高い経済成長に見られる。一時は10%台の伸びを記録し続けて、今年はわが国を抜いてGDPはアメリカに次ぐ規模になっている。このいけいけの経済成長が続く限り不満の芽は大きく顕在化していない。
 
 中国にもエジプトにも富の不平等は広がっている。特にエジプトの一人当たりのGDPが3.000ドル弱とわが国の10分の1にも満たない。若干の石油やガスの生産はあるが、多くを観光やスエズ運河からの収益におんぶしている経済でもある。30年間、独裁を続けてきたムバラク、いったいこれまで何してきたんだ、という不満が上がってきてもおかしくはない。
 
 ただムバラクの欧米への最大の貢献は、四度イスラエルと戦った第四次中東戦争後の79年に、イスラエルと平和条約を結んだことである。革命前のイランのパウラヴィー朝がアメリカの傀儡政権であったように、ムバラクも親米を以後突き進むことになる。アメリカからの食糧輸入に頼るとともに、軍事、経済援助は20億ドルに及ぶ。アメリカから兵器を輸入して軍事はアラブでは有数となっている。
 
 ここに至ってアメリカ、イスラエルを軸とした色分け図が出来上がる。
 
 親米イランはホメイニ革命によって反米の陣営に下り、当時は冷戦真っ最中であった。ソ連に付くというわけでもなく独自のスタイルを持ち続けた。アメリカは今回のエジプト騒動では、イランが脳裏をよぎったはずだ。軍がデモ隊に発砲したがために、
 事は一気に、反皇帝、イスラム国家樹立へと進んだ。
 
 アメリカとしては、エジプトが反米へと結集することは避けたいところであろう。
 
 エジプトがムスリム同胞団を中心にイスラム化するならば、イラン寄り、反米となりかねない。その結果アメリカの息のかかった国はヨルダン、サウジアラビアとなりアメリカの敵であるイラン、シリアが一方に存在するという構図になる。
 
 チュニジアのドミノ現象が中東の他の国にも及びだしたら、これこそ、ついこのまえまで世界の一極支配はアメリカ、と怖いものなしの国に、秋風が忍び寄ることになる。
 
 エジプトにおいてどのように野党勢力が結集し、その後崩壊し、イスラム化へと突き進んでいくのか。ムスリム同胞団がイランの神権政治ばりの過激性を帯びてくるのか注目すべきである。
 
 イラン革命ではパウラヴィー朝が発注していた兵器すべてがキャンセルされた。4日のデモ以来、国内ガスの35%を生産しているBGグループの株は5%下がった。
 
 ヨーロッパ企業は、ムバラク後のムスリム同胞団をイランのような過激性は帯びないだろうと見ている。その理由として、エジプトは食糧を初めとして、資本や武器をすべて外国に依存しているということを挙げている。