さりげなくニュース2010.6.27


  中央アジアのキルギスタンが民族紛争で荒れている。この地はソ連崩壊とともにこぞってソ連から独立した国々である。
 キルギスタンは、2005年にチューリップ革命でアカエフ政権は崩壊して、バキエフ政権に変わった。この年の近辺では、アメリカの触手がグルジア、ウクライナにも伸ばされ、ロシアのパワー減退に比例するかのようにアメリカの進出が目覚しかった。
 
 アカエフ政権の縁故主義、腐敗は次の政権に取って代わられるのは一つの必然でもあった。
 
 今回の暴動の背景でもあるバキエフ政権も前政権と似たようなもので親族を優遇し、国家財産を略奪する。また、反対派を抑圧し、先の6月に行われた選挙は、国際監視団により不正であることが判断された。バキエフ政権がガス、水道などの公共料金の値上げをなすや、首都のビシュケクで暴動が火を噴いた。二日間の軍隊投入で85人の死者という犠牲者が出た。バキエフは、ベラルーシへ逃亡するに到る。その後を継いだ暫定政権は前政権での外交官であったオトゥンバエヴァ女史であるが、パワーは不足し、確固としたイデオロギーも強権さもないため、今や国内の民族対立までにエスカレートした国内をコントロールできない状況に立ち至っている。
 
 キルギスタンの南部は、ウズベキスタンと隣り合わせている。この南部の都市オシュ(OSH)地域はキルギスタンの第二の都市でウズベク人がキルギス人と人数的に拮抗している。当然、キルギスタンからの自治問題や、ウズベキスタンへの加入問題をかかえ紛争の種が根付いていた。今回キリギス人によるウズベク攻撃が激しさを増している。現暫定政権のオトゥンバエヴァは、ロシアへの軍隊導入を申し込んでいる。ロシア側としても二つ返事で応じることはしていない。この地にはアメリカの空軍基地があり、アフガンへの人員補給基地でもある。
 
 ロシア側としては、どういう処置をとりうるか近隣の同盟国とも良く協議する。アメリカの影響力を限定的なものとしたうえでの国連との連結の下、事に当たるという見解をうちだした。(guardian 12 Jun 2010)
 
 こうしているなかウズベク民族の多い南部の町オッシュではキルギス民族の若者が武器、棍棒を携えウズベクの建物を焼き払っている。キルギスタン暫定政権は秩序をコントロールする力を完全と失っている。キルギス人の車にはKG(キルギス民族を意味する)とペイントがほどこされ一方ウズベク人の建物の壁にはSOSとのペイントが目に付く。
 
 話しは変わるが、我が国の政権与党は、我が国の今後の労働人口減少にともなう国内総生産の減少に対処するために、外国人の受け入れを1.000万人規模で画策している。実現するかどうかは別にして、この問題の背後にある民族間の混沌、紛争について熟慮が施されてあるのかどうか、検証が必要だ。これまでにまともな外交などなくても、それなりの裕福な暮らしを続けてこられた我が国にとって、これまでのように国益に無頓着で済むのかどうか熟慮が必要なところだ。
 
 沖縄返還において、アメリカの基地として沖縄を固定化する外交交渉は赤子の手をひねるようなものであった。沖縄から核を排除するというカードを引っさげて沖縄基地を固定化する密約は、今に続くアメリカ側の外交勝利であると理解可能だ。 であるが、我が国は全部外交音痴ということでもなさそうだ。中国大使に民間人を起用したことなどは、画期的なことに映る。