さりげなくニュース2010.10.31

 人とか国に損害を与えれば、損害賠償あるいは、賠償金を支払わなければいけない。世の常である。
 
 尖閣諸島問題での中国漁船拿捕に際しては、中国より損害賠償を求められた。これには、わが国としてはきっぱりと断った。ただ、最大の汚点を残してしまったことは、温家宝首相の脅しに完璧に屈服してしまったことである。今後起こりうるであろう責任のすべては、日本側にあるという凄みにわが国はへし折れてしまった。
 今になっても中国内陸部において反日デモが鳴り止まない。中国の怒りは何だったのかと疑いたくなる。尖閣諸島問題でのトラブルに対してはある一定のガイドライン、処理の仕方が前政権、自民党との間でなされてあり、それを民主党は共有していなかったと考えてみるとき、あの温家宝のニューヨークでの激怒したスピーチの意味を解くことができそうだ
 
 鳩山政権が、対等な日米関係という題目の元、時期早々の発言をしたために、日米関係をこじらせた。中国側としては、日米関係の今後の動向に探りを入れる意味合いも含めた領土問題という一番に国家間でシビアな点を突っついたとも考えられる。遠い将来の方向を見据えないわが国と、弱体化するであろうアメリカのその後を見据えた中国との歴然とした違いが今回現れた。
 
 冷戦がなかったらアメリカはわが国の経済をここまで強くする必然はなかった。フィリピンやベトナムクラスの国家に据え置いても良かったはずだ。この思考からいくと、やがて世界は米中の二大ライバル関係に行き着く。20年や30年先の話などではない。アメリカにとってのわが国の役割はまだ残っていそうである。役割があまり期待できないなら、アメリカの国家予算を補填するだけのものとして、日本は食いつぶされる運命にある。だがそうは、ならない複雑さだ。
 
 話を賠償金にもどす。9月30日付のテレグラフの記事に、ドイツは92年ぶりに第一次大戦の賠償金を完済したというものがあった。素人目にはドイツという国はなんて律儀な国なのだろうと思ってしまう。戦争の勝者と敗者間に正義も不正義もないはずだ。勝ったか負けたかである。負けたがために連合国側にドイツは220億ポンドを支払い続けてきた。そのあまりの不憫な仕打ちにドイツの経済はどん底を見、ナチズムの興隆を見たという歴史的事実がある。国家間のいじめの最たるものだ。フランスもこれに関しては人語に落ちない。ハイチがフランスから独立をなした。フランスは、それによって、奴隷と財産の損失を蒙った。ハイチは賠償を150年近くに渡って払い続けた。ある時は支払いが国家予算の80%にも及ぶといった過酷さであった。
 
 最近の例では、イラクがクウェートに侵攻したために賠償を負うことになったが、世界は常識をとりもどしたかのように、国連での取り決めは、金額ではなくオイル等の収益の30%という線で取りまとめている。
 
 賠償とは真逆のノーベル平和賞の賞金は、今年中国の劉暁波氏に与えられる。国家権力により繋ぎ置かれたミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんについで、政治犯では3人目である。
 
 一党独裁の力をもって13億の民を束ねる必要のある現権力を否定する者に西側がサポートする。このことをわが国に置き換えて、天皇制を否定する、一定の影響力ある人物に同じ賞を与えたとする。わが国の反応はいかようであろうか。