次なる命題から出発することにする。

「すべての生物は生きたいというのが自然の摂理である。」

 

高度に人間化させた集大成が宗教のある本質の一面である。

涅槃(ニルバーナ)はインドの伝統思想から連綿と受け継がれた宗教の行き着いた到達である。それは精神面からの自殺そのものである。

 

以上の捉え方をするとき、それは悟りの到達点が精神面における自殺であった。

 

三島由紀夫の自害をみてみよう。

ただ一点、死の近辺における澄んだ目。ただその一点に焦点をあてがってみる。

透明な視線は涅槃の境地に至っていたと信じうる十分な論拠をあたえてくれる。

 

一方、同じ精神的な自害での川端康成は、どう解釈しうるか。風貌から三島のようなはっきりとした兆候を見いだせないので想像、まったくの仮説によるしかない。

 

たとえば、有能な検察官はいとも簡単に自供に追い込める。証拠を捏造したり、精神に圧迫を加えたりせずにすんなりとなしうる。

 

だれもが、これだけは守りきれなければ自己同一は崩壊してしまう地点がある。自殺に追い込める地点である。

精神のおく深くに眠っているサムシングが日の当たる場所に引き出されたときである。

 

川端の自害はそこらへんにあるのではないか。あくまでも推察に過ぎない。三島のような明白な直感に訴えてくるものとは違う。

 

悟りの一環としての暴力的に身体を破壊する三島の自害もあれば、ただ苦悩から解放されるためには身体を破滅させる。

そうすることが苦悩からの解放だとあたかも自明なるかのように自害する。

 

以上のような区分もなりたちそうである。

 

(自殺は国家経営にとって損失である。有能な貴重な生産力の喪失であること。それにもまして精密機械の足元にもおよばない価値を秘めている機械である。将棋ソフトから敗れた人間というのは極微細な一面にしか過ぎない。精密機械は永遠に近づき得ない人間という機械であろう。そう考えると人間機械の価格も想像を超えたものとなる。生命保険の一般的な生命の査定、数千万円から数億円は安すぎる。最低賃金が急ピッチで高騰しているようにもっと値上げしないといけませんか)

 

Ps.こういう物言いで活字をしたためるのは正直なところ気がひけてならない。宗教裁判で異端のレッテルを貼られて、火あぶりの刑に処せられた御仁の気持ちがわかったような気になるのはなぜだろうか。

 

 

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