2009.9.7.20
「不安定化がすすむ核」
核保有の先輩国は言わずと知れたアメリカとロシアである。
かれらは、冷戦という戦争を長らく戦ってきた。核という戦争抑止力
に則った戦争の出来ない体制であった。このことが冷戦体制の一番の特徴でもあった。
この核の抑止力というこれまでの核の概念が根底から変貌を余儀なくされることが、北朝鮮の
核保有であり、また今後懸念されるオサマ・ビン・ラディンらによる核の保有である。
これまでの管理された核という姿がなくなり、あたかも攻撃兵器の一つであるかのように
簡単に使えるという核の姿に変わったことである。これ程危険なことはないと世界は心配しだした。
核保有国は今後核実験の禁止を含め、核拡散を防ぐためにはあらゆる核の縮小方向を
目指すことを迫られている。
要は使えないものとしての核が国家でないテロリストまでもが使おうとしている使える核になりつつあるというのが現状である。それには、核保有の先輩格であるアメリカやロシアが一番驚きを隠せない状況である。核弾頭数が百ちょっとの中国だって安閑とはしていられない。
アルカイダは、これまで中国には刃をむけてはいなかったが、ウイグルの暴動を機に攻撃宣言がだされた。
核を持つアルカイダ。アメリカの心根を凍てつかせる、もっとも想像だにしたくないシチュエーションであろう。中国も開発国での現地人への労働搾取など脛に傷を多く持っている国である。漢族の横暴を快く思わないイスラムをはじめとしてトルコ系のウイグル、しいては、かつての王朝である元のモンゴル系も現状をしっかりとみつめているはずだ。
国益の限界を見据えながらも国益よりも、もう少し広い範囲での視点が今後より重要になりそうだ。