2009.9.7.11


 「究極のダイエット」   

 猫という種族は本質的に媚をうらない性格をしている。
餌をせっせと与えたからといって懐くかといえば、かならずしもそうとは言えない。
では、犬にするように力で押して、支配力を誇示することによって猫との関係をあらせようとしても猫の関心を引き付け得ることはできない。
 
 どうすることが猫との関係をいいものとなしうるのか。いま到達した考えがある。
 
 人間でも、この女、決して世間映えする美人の類ではない。だが無意識のうちに引き付けられるという女がいます。こういう女のショップは客がついている。理論ではない動物の直感のような牽引力をひめている。私的に言うならば、癒しの光を発している女と表現できるのかもしれない。猫を熟考するに人間の例えをするのは、とても不謹慎であります。だが猫も同様、裏表のない癒し系の光を発する人間に懐くようだ。本質的に。あくまでも、私なら癒し系であって、あなたならなんとか系であろうが。
 
 さて、今回は猫のことではなくて、ダイエットについての私見を述べてみたい。
ダイエットの仕方第一条、3日間の断食をなす。

 一項、3日間でいい。
 
 仮説をたててみる。腹がへるということは、なんの理由でもいいが、食べたいという脳の部分に刺激が行く。この仮説からら出発する。
 
 刺激を止める手法を探す。あるいは、刺激は刺激として自由に刺激の好きなようにさせる。意識を働かせて、飯を食いたい刺激を変容させる働きかけをなすという選択もある。
 
 断食はどういう働きかけであろうか。食いたいという脳の指令に対して、意志の力は反抗を試みる。脳の指令が変容するまで、脳の言うことには一切耳を傾けない。もう真剣勝負の世界である。
 
 ここで仮説ではあるが、飲まず食わずを3日やれば、食欲中枢に張り巡らせてあるネットワークは分断されて、別の回路を造りだすはずだという仮説である。仮説であるから実験するというのが科学的態度である。人体実験をするに限る。
 
 腹八分目よりもっと食いたくなるようなら、また3日の完全断食をなす。これを永遠に続け、脳に教え込む。
 
 中庸が最高に美しい真理だという仮定から出発してみる。

断食は極端である。極端から中庸にもどさなければならない。どうするか、3日の断食のあとの食事は超重湯から出発して3倍の9日かけて初めて一般食にもどしていく。美しい中庸の仮説であれば生命の危機にはつらならないであろう。

  どうだろう、この仮説を試してみたくなりませんでしょうか。

 俗人間にとって、己と向き合いたいと思ったら、まずはタバコをやめる。次いで酒も止める。ついで食事も止める。当然女(男)も止める。そして、生きることも止める。これが世に言うニルバーナではなかろうか。

 これらは全部が仮説であるとお断りしておかねばならない。仮説は実験により確かめられた時に科学になる。みんなが安心する科学になる。科学も永遠の仮説ではあるがだれもそんなことは意にも介さない。科学はとても居心地がいいからでしょうね。余談になるが絶対に罪にならない詐欺とは科学に裏打ちされた所作のことであると定義してみましょう。