2009.9.7.01


  最近様々なニュースが飛び込んできている。
アルツハイマーの原因の一つとなる神経回路を切断する物質の発見。
それら、脳に関するものが大変な人気である。茂木脳科学者の啓蒙活動は、目を見張るものがある。
 
  脳と意識についての私見を述べてみたいと思う。
ヨガの達人は意識的に心臓の鼓動を停止させることが出来るといわれている。そうとうに修行を積んだ者にのみなしうることだとは思うが。
 
  心臓が動くということは、脳との関係でそこに何らかの物質のやりとりが恒常的になされていると仮定してみる。その働きをしているのが脳のどの部位なのかを知らなくても、なんらかの修練によりその働きに意識という働きかけにより影響を行使することは可能であると考えることはできる。それがイメージによる働きかけなのか、言葉というそこに反応する脳の部位を通して目指す脳の部位に影響を加えうるということはありえる。
 
  座禅という脳をオフセットする作為を通して意識を脳のある部位への働きかけをピュアなものとする。ある部位でのこれまで蓄えられた記憶など連結を整理整頓し、あるいは新しい連結への可能性としての作為がおこなわれるとかんがえてもいい。
 
  手段としてのイメージ、言語もある部位に蓄えられたものであるに違いないが、その無数の連結の可能性をその部位内で行われる過程もありえる。
 
  要は意識はイメージや言語を手段として無限のシナプス連結へのスイッチの役割であると仮定しうる。では、イメージや言語はどこにあるのか。それは脳のある部位に蓄えられていた、とはならないだろうか。座禅にあっては主主のなる段階というものを措定しうるのかもしれない。蓄えられた言語、イメージの改良その他。そのイメージ、言語から発展したさらなるイメージ、言語の連結の改良というふうに。
 
  脳と意識とは明かりと蛍光灯のスイッチの関係のようなもので、ある部位にある意識が働かないならその部位に蓄えられたイメージや言語は表象してこない。心臓の鼓動を止めうるヨーギーの場合は、意識的に生命を止めうると言い得る。
 
  以上このような仮説をたててみました。科学の仕事とは、実験をなすことによって仮説の証拠を探り出すことであります。人類何千年の英知は、実験がとても追いつかないものを含みえている可能性も否定しえない。