2009.9.10.29


  「庄内地方、知価革命 曼荼羅」 」

今回の市長選挙の公約に温泉街を活性化するというものがあった。
具体的にどうするのだろうかと考えてみた。
まず、思い当たる施策は、環境整備をするとか、箱物を作るとか、まあ一般的にはこのような思考となる。
 知価革命の発想だったらどうだろうか。たぶん。温泉街とは直接に関係のない「藤沢周平」を一生懸命に煽って、煽り続けることであろう。もう一つ大切なことは、藤沢周平文学を斜めちゃまに評価している声を前面に持ち出すことである。
 藤沢はいい、いいと大合唱するより、とてつもなく迫力があり、裾野がひろがりを持つ。賛美者などどこにでもおり、糞のたしにもなりえない一過性の風みたいなものだ。
 箱物は作ったのだから、それを補強するには、藤沢の見方に幅をもたせる肉付けの風を巻き起こす作業をすることが大切である。(一例としての藤沢)
 話しはかわるが「おくりびと」に知価革命を期待できるかといえば、可能性ははなはだ少ない。なぜならば、外人さんの目はともかく、日本人の目でみて、この映画に心底すごさを感じたろうか。否である。
 市民は鑑定眼のような鋭い目利きをもたなければいけない。世間がいいというものが、この土地の知価革命にもいいとはならならない。この土地の目で捨てるものは捨てていかねばならない。
 羽黒町にある映画村について。これが知価革命になりえる一番大切な要素は運営者が良質な意識の持ち主であるかということにかかっている。映画村という箱ものがあるのだから、この箱物に地域のどんな素材を押し込めていけるかということだ。映画村そのものの存在価値を喪失させうるほどのぎりぎりまで何かを押し込め得るか、ということに尽きる。
 具体的に。ぶっつけるものが、良し悪しはべつにして「温故知新」ふるきを訪ねる保守性を強引に紛れ込ませることだって考えられる。
 映画村は知価革命の実験場としては大変おもしろい。
 地域を発展させるには、一にも二にも人材であり、それ以上のものはない。
地域の地価革命の推進者には、相当の先見の明が必要とされる。
 こういう視点から鶴岡市というところは、実験には適している土地柄だと思う。筆者はこのような視点で新しい地方ガバメントを見ている。