2009.9.10.06
「中川昭一氏の死」
父の故一郎は57歳で自死した。息子もまたか、と誰もが思ったに違いない。56歳である。
あのシニカルな表情がなんともいえない魅力のひとつだった。
あの2月G7での酩酊記者会見さえなかったら、もしや、今回の落選もなかったかもしれないと思いたくもなる。それほどに彼のあのシニカルなはにかんだような人間性が魅力だった。権謀術数を旨とする政治家には不向きであったのかもしれない。
彼は対米従属の側に立つ政治姿勢であった。アメリカの金融危機を一緒になってどうしようかと考えた立場にあった。G7とは、英米中心体制の要のような存在でもある。しかしアメリカの一極の力、その衰えは如何ともし難く、世界の動きはインド、ブラジルを含むBRICSの台頭の前にG7は色あせたものとなっていた。中川昭一の死の頃にはG20へと衣替えが完了することになる。これをもって我が国の米国従属は一つの終焉となりつつある。中川の死は、そういう意味での象徴的な事件であると言えるのかもしれない。
現政権の民主党は対米一極からの決別をなしたかのように見受けられる。自民党は、このことに気付かずに無為に時を過ごすなら、取り返しのつかない、政権奪取からは程遠い存在に成り果ててしまう危険性がある。
中川がG7でやらかした事件をG7の屍と重ねあわして象徴的に見るのはただ一人筆者のみであろうか。
故中川昭一氏のご冥福を祈ります。