2009.9.10.04
「庄内曼荼羅」
選挙の季節を間近に控え、民主主義の根本である民意の参加が出来る機会であります。
酒田市と言うところは市長選となるや、中央から誰かを引っ張ってきて立候補させる。これまでの経緯を見ると、それは、地元出身者にして、しかも東大卒の官僚ときまっている。今回もそうである。その意思決定に重要な役割をはたしているのがH会社の会長であると仮定してみる。
Hの性格、あこがれ、あるいは、限界が如実に反映されることが想像される。辻本清美の元気さだけのものは、もってのほかだとなる。あるいは、橋本大阪府知事のごとき若さだけの得体のしれないものなどもってのほかだとなる。こういう風土はH個人に起因するものだと言い切れようか。実は、もっと深いところに流れている。筆者の想像では酒田文化は「芸者文化」に映る。もっと解りやすく事物で表現するならば小松印刷で出していた「スプーン」という雑誌そのものであると。もう少し敷衍すると、中央の新しき蒔絵を遅れた地方に見せ付けてギャフンと縛りつける手法である。これと同じ発想が東大卒の官僚をつれてきて水戸黄門よろしくギュフンといわせる。
酒田市に以上の動きに対する叛旗の狼煙が全然発しられなかったわけではない。商工会議所内での若手によるH追い落としがあった。しかしつぶされてしまった。これ以後酒田市は10年あるいは、それ以上自立できない状況が続くものと思われる。「スプーン」が幕を閉じたことを重く受け止める必要がある。この手法の文化すなわち「芸者文化」は崩壊する宿命にあるとしるべきである。
では、手始めに何をすべきか、簡単なことである。Hの限界から抜け出せばいい。それがなによりも最初になすべきことである。ツジモト的を市長選にだすことである。まちがってもさきごろのような家庭の主婦に毛が生えたようなものではだめだということにつきる。酒田再生はここから始める必要がある。これができなければ、酒田は、長期低落を続けるであろう。
次に同じ庄内である鶴岡市に言及して見る。鶴岡市を一言で表現するなら「荘内日報」そのものであると。もう少し敷衍して言わなければいけない。鶴岡の政治的な面で顕著なことがある。一言で表現してみるならば、それは、「温故知新」をもじって、古きを知るという面では重戦車でも崩せない強靭さがある。だが政治的新しさを見つめる目は皆無といってもいい。生理的拒否反応を起こしかねない風土であると理解している。荘内日報の編集理念は内向きに内向きにありえることを良しとして外向きに触れることタブー視する姿勢である。これが日刊紙として続いてきた根本原因でもあると同時に限界でもありえる。鶴岡市にもこれと同じような匂いを感じ取れる。ただ酒田市のような軽薄さはない。「古きを知る」という風土がしっかりと定着しているので東大卒の官僚といった恥ずかしい選択はしない、今後もしないと思う。
筆者は東大が解体される機会があったのに解体されされなかったことが我が国の政治にどれだけの悪影響をあたえたか杞憂した一人でもある。あくまでも、55年体制の権力機構への官僚補給大学という意味で言っている。新しい権力機構が確立された時点では、また変わったものとなりえよう。
今回の鶴岡市の立候補者の顔ぶれ、経歴、活動内容を見てみると、どこか躍動の兆しを感じ取れるはずだ。個々の政策の主張の良し悪しは別として。
鶴岡市にあってもツジモト、ハシモト的な人物を受け入れる下地は全然整っては居ない保守の土地であることは否定しえない。この風土的要因は、土地と、そこからの生産物という動かないものへの信奉につきると思う。しかし、鶴岡の場合は10年内外のうちに変わってくると思われる。それでも、最短でも10年はかかる。もっと具体的いうならば、「荘内日報」が続く限り鶴岡市の「温故知新」はつづくであろうし、「荘内日報」が倒れる状況にありえたときは、いままでの鶴岡市は崩壊しているときだと思う。その時は、多分、政治的にも「知新」の面が積極的になってきていると思われる。
経済技術文化面でのこれまでの鶴岡政権は、方向的には一歩進んでいると思われる。技術文化の面では3年や5年のスパンではなく10年、20年の中に誇りの気持ちで取り組む必要がある。そのことで市制がたとえ赤字になったとしてもいいではないか。それくらいの無理は断固としてするべきだ。夕張のように観光施設に金をぶち込む軽薄さに比べたらどれだけすばらしいことか。地方の研究機関から世界に人材が育っていったとき、それを教育といわずになにが教育か。産業がないときには、教育に金をかけれとは個人でも地方ガバメントでも国でも、それは鉄則である。目先の結果、効果にどうのこうのという政治主張には、いっさい目を向ける必要はない。以上が筆者の鶴岡市に対する現在の「温故知新」である。