2012.5.16


 
 
 「ヴェネツィア展から今井繁三郎美術館に思いを馳せて」
 
 

南ヨーロッパ、ユーロ圏は今たいへんな状況の時でもある。財政危機が端緒となり緊縮を国民に強いることになる。その結果、政治不安が増幅し始めている。フランスの大統領選挙では緊縮に待ったをかけそうな候補が、現職のサルコジに勝利した。

一番の危機が叫ばれ続けたギリシャの選挙では、その後安定政権を確立する連立の試みが不調に終わり再選挙へと突入が濃厚となっている。ごたぶんにもれずスペインというギリシャとは規模の違う国家の苦境が表面化しだしている。完全失業率が30%前後と厳しい状況だ。この南ヨーロッパの苦境によりユーロ圏は崩壊の一歩手前のところにある。ただ優等生であるドイツだけが健全でありえている。このように方々の国々が債務危機にあり、政治問題化しているなかにあって、指導的立場にあるドイツが主張する財政赤字をここ数年内に3%にもっていくということが、どれだけ政治不安をもたらすのか想像すらできない状況になってきている。

 投資家で著名なジョージ・ソロスはドイツの銀行ブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)に完全なる戦争宣言を打ち上げた。不適切なルールでヨーロッパをだいなしにし続けることをリーダーたちがやめない限り、ユーロに戦いを挑むという宣言をル・モンドへのインタビューで発している。

イタリアも厳しい状況にあることに変わりがない。そんな中、宮城県美術館ではヴェネツィア展が開かれている。5月連休中、一日の入館者数は、三千人を数えた。これまでの数ヶ月間での累計は五万人に達した。

 一千年の栄華を続けた水上の都市ヴェネツィアはわれわれ日本人の目にどう映ったのか。

 18世紀の風景画家カナレットの作品の前にたたずみ、ふと地元の今井繁三郎美術館に思いを馳せることになる。

 羽黒町戸野、亀の井酒造の四男坊として生をうけた繁三郎は16歳のときに故郷を離れる。当時の四男坊の処遇の仕方としてはワカゼにだされることである。(今井繁三郎は荘内中学出のエリートである)。それが嫌なら出奔するに限るであろう。

当時の男たちの朝は早い。日の出とともに起き、馬をウマヒヤシコへと連れ出して馬の全身にブラシをかける。女たち、とくに嫁は、十中八九は、あかぎれの手で、ご飯ザメのために、薪を燃やす。姑にたいしては、それがどんなに理不尽なものであろうとも、口ごたえなど出来ない。シンショを譲ってもらうまでの辛抱だと自分に言い聞かせて耐え忍ぶ生活だ。

 朝のメニューは、沢庵に味噌汁、昼の定番は、ションビキ。塩辛い魚だ。夜は野菜の煮付け。そんな食事に貧しいなどと思うことすらない。

 繁三郎の生きた庄内での青春とはかような風土である。

 ワカゼになっていれば、食事だけは、保障されている。しかし、それは、日の出から日没まで、他人の家に住み込んでの過酷な労働である。

 この風土を持つ地に今井繁三郎美術館がある。大地に根を張った叫びの存在感である。

 今井繁三郎美術館という名前を知ってから何十年もの歳月が流れていた。この5月の連休中に初めて訪れた。宮城県美術館で開かれているヴェネツィア展に出かける三日前だ。

 入り口の壁には20号の月山と鳥海山を描いた二枚が掲げられていた。それを通りすぎ、ずんずんと二階に上がっていった。そこに、セザンヌの色彩の世界と、ピカソのキュービズムにシンパシーをいだかせるような図柄を見出すことになる。僕は、そのデフォルメされた絵のなかに庄内の風土を意識しながらたたずんでいた。もちろん、吹雪の描写のなかに、裸婦のなかにも見入っていた。

 今、ヴェネツィアの栄華の極みを自己主張する印象が胸の片方にあり。一方、今井繁三郎という一人の男がいた。庄内という日本の時代と西洋を精神的に、またに掛けてストラグルし続けた世界をこの美術館のなかに感じ入ることができた。

このような庄内の表現者に出会ったことに感謝している。また、これに勝る至福な時間というものをこの地に生きて、かつて知らない。

注 

*ウマヒヤシコ(川の浅瀬で馬を洗う場所のこと)

*シンショ(家督相続のこと)

*ションビキ(塩からい赤みの魚のこと)

*ワカゼ(住み込みで他家に労働を提供する男のこと。やがて養子にいく道が開ける)

          繁三郎は三男坊ではなく四男坊であるとは、館長である娘さんによる。

     (この文章は荘内日報 2012.5.15付に掲載されたものです。)